魔法使いになるまで


小さい頃見た、手の中に入れたハンカチが消えるというマジックをきっかけに《魔法使い》に憧れ、マジックに興味を持つ。

小学校時代・マジシャンに憧れテレビや本などで覚えた簡単なマジックを友達や低学年の子達に見せ楽しむ。

中学校時代・沖縄から名古屋に転校。そこでマジック専門店の存在を知り、小遣いを貯めて初めて本格的な道具を購入するも難しく、扱いきれずに投げ出す。 

基礎から本格的にやろうと教本や資料で基礎を学ぶ。特にコインマジックに関心を持つ。

中学3年の時、ホームステイをしにアメリカ・オハイオ州とカナダへ。


現地の子達と交流を取るためマジックを披露。言葉が通じなくても楽しめ、コミュニケーションをとることの出来るマジックの深さを知り、さらにハマル。 

  
帰国後、初めて大人数の前でマジックを披露!が、緊張のあまり大失敗。恥ずかしい思いをし、 それからしばらくマジックが怖くなりブランク期間がしばらく続く。。。

   

高校入学後、退屈していた友達に見せた《破いたティッシュが元に戻るマジック》をきっかけに再び復活


それからしばらくして入学3ヶ月で東南アジアにあるラオスという国へ家族で引っ越すため中退。 始めは日本に残るつもりだったが好奇心に駆られ脱日本

 

ラオスで3年滞在。現地のインターナショナルに通い授業についていこうとするも自分の英語力の無さ、学校に対しての不満、同級生の日本人がいない辛さで一時期荒れるが

ある本に書かれていた言葉『今をつまらなくしているのは自分自身、自分が変われば周りも変わる』に出会い、勉強よりもここでの生活・文化を楽しみ、経験して、ここでしか出来ない事にチャレンジしていく事を決意。 

 

途上国の為マジックというものを知らない人もいるラオスでコミュニケーションをとるツールとしてマジックを行う。


手に握った物が消えたり・出たり。お金が増えたり浮いたり。初めてマジックを目にする現地の人たちの反応は日本人とは全く違い、予想もしない反応をするのでとても新鮮だった。《一部の人から拝まれたり、ゾンビと変なあだ名をつけてくる人がいた》


 しかし、子供も大人も現象を見た瞬間の、目を丸くして驚きそして笑顔になる顔は日本人もラオス人も関係なく一緒だった。マジックを見せ終わった後には言葉の壁も無くなり、国も言葉も関係なく同じ気持ちになる。これまでマジックをコミュニケーションツールとしか思っていなかった僕はこの時、《魔法》と考えるようになる。  

 

半年に一度、日本に帰国するたびに新しいネタを仕入れて練習し、
現地に住む日本の子供達や外国の方とも交流を持つことが出来、誰でも楽しめ限りのない無限の可能性を秘めたマジックに完全にとりつかる。


そして大学受験、日本の高校の資格がない為「高認試験」を受け、沖縄の大学を受験。無事合格!

 


一人ラオスから帰国して沖縄で大学生セミプロとして県内のイベントやBARなどで2006年より活動を始める。


大学入学した最初の冬に仲良くなった先輩と一緒に奇術部《夢幻》を設立!それをきっかけに現在、県内マジシャン達と出会いマジシャン仲間が沢山でき、切磋琢磨しながら腕を磨きながらマジックを通していろんな人と出会い、現在沖縄を拠点とし活動を続けている。



 

マジックをしながら世界を旅して周り、沢山の人と出会い年齢・コトバ・国籍関係無くマジックを通して色んな人との繋がりを築いていき、マジックという“魔法” をきっかけに、皆が笑顔で一つの時間を共有し、仲良くなっていく空間を創り、大きな望みかもしれませんが、

沢山の人と出会いながら小さなきっかけで大きな幸せ・“平和”をつくるきっかけになりたい。。。

そんな旅を続けていきたい。。。